増上寺は、日本の歴史と文化に深く結びついた寺院です。その歴史は古く、開山から六百年以上もの間、
多くの出来事と変遷を経てきました。
増上寺は室町時代の明徳四年(1393年)に、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって創建されました。
最初は武蔵国の貝塚に位置し、後の千代田区平河町から麹町にかける地域に建てられました。
室町時代から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の拠点として栄え、徳川家の菩提寺としても選ばれました。
特に安土桃山時代に徳川家康公が関東を支配し始めた際、増上寺は家康公の菩提寺としての地位を確立し、
家康公と住職源誉存応上人との深い師弟関係が築かれました。増上寺は江戸幕府の成立後も繁栄し、
全国の浄土宗の宗務を統括する総録所が設けられ、関東十八檀林の筆頭として、京都の知恩院に並ぶ地位を占めました。
増上寺は檀林として僧侶の養成と学問の場としても知られ、時には約3,000人もの修行僧が在籍し、
その規模は「寺格百万石」と称されました。この隆盛期には寺領も一万余石に及び、
境内には坊中寺院四十八軒や学寮百数十軒が建ち並び、その面積は広大でした。
明治時代には境内地の削減や神官養成機関の設置など、苦難の時代も経験しましたが、
復興の兆しを見せ、堂宇の再建が進みました。その後も増上寺は時代の変化に耐え、
昭和二十年(1945年)の空襲で一部の建物を失いながらも、終戦後に新たな堂宇の建設を行い、
その歴史と伝統を受け継いでいます。
現在、増上寺は多くの人々に愛され、一万六千坪の広大な境内には古い建物から新しい建物までが立ち並び、
その歴史と伝統が今も息づいています。
前のページへ
ホームへ
次のページへ
写真販売
|
|