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2008年11月16日に開催された第30回東京国際女子マラソン 兼 第12回世界陸上競技選手権大会 代表選手選考競技会
兼 第92回日本陸上競技選手権大会女子マラソンは、この大会の歴史において特別な意味を持つ節目のイベントでした。
30年にわたる伝統を持つこの名門大会には、国内外からトップレベルの女子マラソンランナーが集い、最後の東京国際女子マラソンを
飾るべく激しい競争が繰り広げられました。この大会は、日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日の主催で行われ、
東京陸上競技協会が主管として関わりました。また、資生堂、みずほフィナンシャルグループ、大和証券グループ、NTTドコモなどの
協賛企業も、大会運営を支えました。
この日、レースがスタートしたのは、12時10分。13時の気象条件は、気温15.8度、湿度82%、北北東からの風速1m/s、そして雨という、
ランナーたちにとってはやや厳しいコンディションでした。それにもかかわらず、国内外から集まった選手たちは、その実力を
存分に発揮し、最後の東京国際女子マラソンにふさわしい激戦を展開しました。
国内からは、渋井陽子、加納由理、尾崎好美、林明佑美、松原由貴子などの有力ランナーが出場しました。これらの選手たちは、
それぞれが豊富な経験と実績を持ち、特に渋井陽子は、大会前から優勝候補の一人として注目されていました。一方、海外からも
強豪選手たちが参加しました。イギリスのマーラ・ヤマウチ、ロシアのスベトラーナ・ザハロワ、ケニアのサリナ・コスゲイ、
エチオピアのデラルツ・ツル、ケニアのマグドラネ・チェムジョー、そしてウクライナのタチアナ・フィロニュクといった選手たちが、
国際色豊かな大会をさらに盛り上げました。
レースの序盤から、渋井陽子はその強さを見せつけ、積極的にトップを走りました。12キロを過ぎた時点で彼女は先頭集団から抜け出し、
独走状態に入りました。そのままのペースで進んだ渋井は、大会記録を上回る可能性さえも期待されました。しかし、マラソンは後半に
本当の勝負が訪れると言われる通り、渋井はレース終盤でペースが徐々に落ち始めました。38.5キロ地点に差し掛かった時、尾崎好美が
彼女に追いつき、逆転を果たします。
尾崎は、ここから一気にペースを上げ、そのままゴールへと駆け抜け、見事に2時間23分29秒でフィニッシュし、初優勝を飾りました。
尾崎にとってこの勝利は、これまでの努力が実を結んだ瞬間であり、彼女のキャリアにおいて重要なマイルストーンとなりました。
また、この勝利は、最後の東京国際女子マラソンを象徴する感動的な瞬間として、多くの観衆に深い印象を残しました。
一方で、序盤からトップを走っていた渋井陽子は、レース終盤でのペースダウンが響き、最終的に4位でゴールしました。彼女はその
攻撃的なランニングスタイルで観衆を魅了しましたが、優勝を手にすることはできませんでした。2位には加納由理が入り、3位には
イギリスのマーラ・ヤマウチが続きました。このように、上位の結果は日本人選手が中心となる一方で、海外勢も健闘し、非常に高い
競技レベルが示された大会となりました。
この第30回記念大会は、東京国際女子マラソンの歴史を締めくくるにふさわしい感動的なレースであり、日本女子マラソン界にとって
重要な一瞬となりました。30年間続いたこの大会は、数々の名勝負を生み、多くのランナーにとって挑戦と夢の舞台となってきましたが、
この大会をもってその歴史に幕を下ろしました。大会終了後には、新たに「横浜国際女子マラソン」が横浜市で開催されることとなり、
東京国際女子マラソンの精神と伝統が新たな形で受け継がれることになりました。
最後の優勝者となった尾崎好美の勝利は、彼女が「最後の女王」としてその名を刻む瞬間となり、この大会の歴史に深く刻み込まれました。
この大会は、日本の陸上競技史における重要な位置を占めており、今後も多くの人々の記憶に残り続けることでしょう。
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