徳田屋食堂 でとくだ屋丼を食べて、北千住、荒川、西新井大師、東十条を散歩(3/4) みんなのアルバム 2017年3月16日   左側の写真を、クリックして下さい。 



西新井本町は東京都足立区にある町名で、環七通りの南側に位置し、 一丁目から五丁目までの区域から成り立っています。この地域は江戸時代から存在し、歴史的には総持寺の領地として知られています。明治時代に町制が施行され、「西新井町」となりました。過去には関東地震で避難民が流入し、急増する人口を受けて町制が施行され、東京市に編入されました。現在、西新井本町は多くの世帯と住民が暮らす地域で、学校や病院、交通アクセスも整備されています。
環七通り、または東京都道318号環状七号線は、東京都内を縦断する重要な地方道路で、大田区平和島を起点にして江戸川区臨海町まで延長57kmにわたります。この道路は、東京都市計画道路幹線街路環状第7号線として整備され、一般的には「環七通り」または「環七」として親しまれています。 環七通りは、東京23区の西側を半周する主要な道路として、都心から外側を通る一般道路としての役割を果たしています。この道路の歴史は古く、1927年に旧東京市が策定した「大東京道路網計画」に含まれ、後に昭和2年8月1日に内務省によって告示された「大東京都市計画道路構図」にも計画が採用されました。 工事は西側から始まり、1940年には現在の大田区にある松原橋立体交差が供用開始されました。しかし、戦争により工事が中断され、戦後も計画は進まずに放置されました。その後、東京オリンピックの開催が決定され、1964年までに環七通りは一部が開通しました。 この道路は、東京オリンピックの開催に合わせて整備され、駒沢競技場や戸田漕艇場と羽田空港を結ぶ重要な道路として使用されました。新神谷橋までの工事が急がれ、オリンピックが開催された1964年までに環七通りは一部が供用されました。 1985年には葛飾区青戸八丁目から奥戸陸橋までの区間が開通し、全線が58年の歳月をかけて完成しました。環七通りは片側2車線以上で整備され、約30か所の立体交差点が設けられています。 夜間や早朝など交通量の少ない時間帯にはスムーズに走行できますが、昼間はトラックなどの交通量が多く、交差点や工事による車線規制があると大渋滞が発生することがあります。 環七通りは東京都内を横断し、多くのエリアとの接点を提供する重要な道路で、地元の人々や観光客にとって不可欠な交通路です。




2017年3月16日



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