稲荷町から上野公園、秋葉原、浅草橋まで散歩



稲荷町は東京都台東区西部に位置する地区で、下谷稲荷という大きな稲荷神社があります。この地は「寄席の発祥の地」としても知られています。 稲荷町は下町の商業地であり、JR上野駅の東方に位置し、東京地下鉄銀座線稲荷町駅があります。浅草通りの南側には仏具問屋街が広がり、北側は寺町の風情が漂っています。明治5年(1872年)には下谷稲荷をまつったことが地名の起源となっています。 稲荷町の名前の詳しい由来は、下谷神社にあります。下谷神社は現在、東京メトロ銀座線の稲荷町駅からすぐの場所にありますが、もともとは上野公園周辺に建てられていました。しかし、江戸時代に現在の場所に移転されました。 当時の神社は「下谷稲荷社」と呼ばれており、この地を稲荷町と呼ぶようになったと言われています。下谷神社は大年神(おおとしのかみ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神としており、730年(天平2年)に上野山に創建されたと伝えられています。 大年神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の甥にあたり、幅広い産業を守護し、商売繁盛や家内安全のご利益があるとされる神様です。一方、日本武尊は古代の皇族であり、九州や東北地方の平定に貢献したと言い伝えられています。 1627年(寛永4年)には上野山に新しい寺が建てられ、神社は現在の下谷エリアに移されました。その後、関東大震災で社殿が焼失しましたが、1934年(昭和9年)に再建され、現在に至るまで何度か修復が行われています。 稲荷町は下谷神社を中心とした歴史的な地域であり、商業地としても栄えています。その風景には仏具問屋街や寺町の特色が見られ、下町情緒溢れる雰囲気が漂っています。また、下谷稲荷のご利益に期待して商売繁盛や家庭安全を祈る人々も多く訪れます。 稲荷町は東京の魅力的な歴史地区の一つであり、訪れる人々に古き良き日本の風情を感じさせてくれる場所です。

上野恩賜公園は、日本の都市公園を代表する都立公園であり、開園から140余年の歴史を持っています。東京都では、上野恩賜公園グランドデザインに基づく再生整備計画に取り組んでおり、上野公園を東京の文化・観光の拠点としてより魅力的な公園に再生させるための整備を進めています。 上野恩賜公園は、明治6年に日本で初めて公園に指定された歴史的な場所です。かつては江戸時代には東叡山寛永寺の境内地であり、明治維新後には官有地となりました。その後、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され、「恩賜」の名称が与えられました。 公園の面積は538,506.96平方メートルであり、広大な敷地を誇っています。公園内には様々な植物が存在し、イチョウ、クスノキ、ケヤキ、サクラ(約1200本)、ハスなどが代表的な植物として観賞されています。 交通アクセスも便利であり、JRや東京メトロ銀座線・日比谷線の「上野」駅から徒歩2分、京成線の「京成上野」駅からも徒歩1分でアクセスできます。 上野恩賜公園は一日中楽しむことができ、開園時間は午前5時から午後11時までです。公園内では自然の中で散策を楽しむことができ、歴史的な建造物や美術館、動物園などもあります。また、四季折々の花々や美しい景色も魅力の一つです。 東京都の中心部に位置し、上野恩賜公園は都市の喧騒を忘れさせてくれる憩いの場です。歴史と文化、自然が融合した公園であり、地元の人々や観光客にとって魅力的なスポットとなっています。

アメ横は、東京の上野駅と御徒町駅の間に位置する日本有数の商店街です。この商店街は第二次世界大戦直後に闇市として形成され、当時は満州からの復員兵約400人が共同体となって連合会を結成し、出店を統制していました。アメ横は、その闇市形態の発展系として現在も残る数少ない商店街の一つです。 商店街の名前の由来には二つの説があります。一つは、飴屋が多かったことから「飴屋横丁」が転じて「アメ横」と呼ばれるようになったという説。もう一つは、アメリカからの舶来品が多かったことから「アメリカ横丁」が転じて「アメ横」と呼ばれるようになったという説です。 アメ横は多くの店舗が軒を連ね、珍品や貴品を取り扱う専門店の集まりでもあります。商店街内の店員たちは豊富な知識を持っており、商品について尋ねると驚くほどの情報を提供してくれます。 近年ではアフリカ系やアジア系の人が経営する衣料品店やブティックが増えており、外国人が経営する店舗も増加しています。2015年には外国人経営の店舗がアメ横全体の1割にあたる40店舗になりました。これらの店舗はアメ横商店街連合会に所属し、商店街の一員として活動しています。 アメヤ横丁という一部のエリアは、京成上野駅に近く、成田国際空港とのアクセスも良いため、外国人観光客が訪れるスポットとなっています。訪れる客の半分以上が外国人である時期もありますが、中国の商店街に似ているため、中国人にはあまり人気がありません。 アメ横は、歴史的な闇市の影響を受けた商店街でありながらも、変化を受け入れつつ共存し、商店街を盛り上げていこうという姿勢が見られます。迷路のような商店街であり、ディープな世界を楽しむことができます。店員との交流や珍しい商品の探索など、アメ横ならではの買い物体験が待っています。ぜひアメ横を訪れて、その独特な雰囲気と魅力を味わってみてください。

秋葉原は、東京都千代田区にある地域で、日本の文化や技術、エレクトロニクスの中心地として知られています。この地域は、明治時代に創建された鎮火社が起源であり、その後は交通の便が良く、特に卸売業が盛んに行われました。現在では、多くの電気製品やコンピュータ関連商品を扱う電気街として知られ、多くの店舗やビルが立ち並んでいます。また、秋葉原はアニメやマンガのメッカでもあり、多くのオタク文化関連のショップやカフェも存在します。そのため、国内外から多くの観光客やファンが訪れる場所となっています。秋葉原の特徴は、その独特な雰囲気と多様な商品の取り揃えにあり、テクノロジー好きやポップカルチャーに興味のある人々にとっては魅力的なスポットとなっています。

秋葉原駅から総武線の線路下を歩いて進むと、公園が見えてきます。 この公園はサラリーマンたちの憩いの場として利用されており、 「ラジオ体操会発祥の地」という碑があります。 昭和3年に万世橋警察署の面高巡査が佐久間公園で「早起きラジオ体操会」を開始したことが始まりだそうです。 公園を過ぎると、人通りが少なく歩きやすい通りが続きます。 しばらく歩くと浅草橋駅が見えてきます。 この間の総武線高架下には、居酒屋や商店街があり、 活気が感じられます。浅草橋周辺にはキレイな石や宝石を売っているお店も多くあります。 浅草橋駅はJR東日本と都営地下鉄が利用する駅であり、 東口周辺は人形問屋や模型メーカー・卸が集まっています。 また、総武線の南側には繊維・衣料品のメーカーや問屋が多く存在しています。 浅草橋の近くには屋形船で有名な柳橋があり、江戸時代には浅草橋門がある防衛の拠点として機能していました。 秋葉原東口から浅草橋西口まで800mほどの距離で、徒歩約10分程度です。



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2023年3月20日





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