山王祭は、東京都千代田区にある日枝神社で行われる祭りで、正式には「日枝神社大祭」と呼ばれています。
神田祭とともに「天下祭」とされ、深川祭を加えた三大祭りの一つとしても知られています。現在の山王祭は、
隔年の6月中旬に本祭が行われますが、江戸時代には旧暦の6月15日に開催されていました。
歴史の中で多くの変遷を経てきた山王祭は、江戸時代には特に重要な祭りとされていました。
江戸時代の山王祭は6月14日の正午から始まり、神社での読経や祝詞、神楽の演奏が行われた後、街中では山車や練り物が練り歩きました。
沿道には提灯や屏風が飾られ、夜通しの酒宴が開かれていました。そして翌15日の未明には、山車行列が出発しました。
この行列は町内を経由しながら江戸城内に入り、将軍の上覧を受けた後、各町を巡り、御旅所で奉幣を行ってから日枝神社へと戻りました。
江戸時代には山王祭の行列が非常に豪華で、神輿や山車、練り物が多数参加しました。
山車は牛に曳かれ、町ごとに特色ある飾り付けがされていました。例えば、大伝馬町からは諌鼓鶏の吹貫の山車、
南伝馬町からは幣猿の吹貫の山車が出されました。また、各町が出す山車の内容はある程度決まっていましたが、
それ以外の付祭と呼ばれる出し物も登場し、踊り屋台や趣向を凝らした曳き物などが含まれていました。
これらの出し物は町ごとの当番制で行われ、特に麹町から出された白い象の作り物は評判となりました。
現在の山王祭もその伝統を受け継いでいます。神幸祭は東京都心を練り歩く壮大な行列で、御鳳輦二基、宮神輿一基、
山車六基が総勢500人により奉仕されます。この行列は、江戸時代の王朝絵巻が現代によみがえったかのような光景を見せ、
四つの区(千代田区、新宿区、中央区、港区)をまたいで進みます。特に、江戸城内を巡るルートは、
かつての盛儀を感じさせるものとなっています。
行列の巡幸路は、日枝神社から始まり、国立劇場、皇居坂下門、丸ビル角、日本橋日枝神社、京橋三丁目、銀座四丁目、
コリドー通りを経て日枝神社に戻る全行程23キロのコースです。このルートには皇居を始めとする東京の名所が含まれており、
観客は江戸の風情を感じながら祭りを楽しむことができます。
さらに、山王祭ではスマートフォン向けのアプリが提供されており、リアルタイムで行列の位置を確認できる機能があります。
GPSを利用して行列の位置情報を1分ごとに更新し、要所ごとの到着予定時刻も表示されるため、
観客は見逃すことなく行列を楽しむことができます。
神幸祭は、小雨決行で隔年に行われますが、その準備や運営には多くの人々の奉仕と協力が必要です。
特に、王朝装束を身にまとった総代役員や氏子青年の奉仕は、祭りを彩る重要な要素です。
この壮大な行列は、徳川時代には将軍が直接上覧するほどの重要な祭礼であり、現在でもその伝統を受け継ぎ、
現代の東京においても多くの人々に感動を与えています。
山王祭は、日枝神社の歴史と伝統を今に伝える重要な祭りであり、神幸祭の行列はその中心となるイベントです。
江戸時代から続くこの祭りは、現在でも多くの人々に愛され、毎回多くの観客を集めています。
山王祭の神幸行列は、歴史と文化を感じさせる壮大な祭典として、これからも続いていくことでしょう。
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