三社祭は、毎年5月の第三土曜日を基点とし、金曜日から日曜日の3日間にわたって行われる日本を代表する祭りの一つです。
この祭りは、浅草神社の氏子44ヶ町を中心に開催され、約180万人の人出を数える大規模なイベントです。
東京の初夏を彩る風物詩として、浅草の街が一年で最も賑わい、活気に満ち溢れる時期となります。
三社祭の起源は、鎌倉時代の正和元年(1312年)に遡ります。この年に行われた船祭が元になり、
長い歴史と伝統を誇っています。昔は3月18日を中心に行われていましたが、明治時代以降、
5月に移行し現在の形となりました。
祭りの初日は、華やかな大行列が浅草の町を練り歩き、祭礼の始まりを告げます。この行列には、
お囃子屋台、鳶頭木遣り、浅草の各舞、芸妓連の手古舞や組踊りなどが参加し、街全体に祭りの雰囲気を広めます。
また、東京都無形文化財に指定されている「神事びんざさら舞」もこの日に奉納されます。
びんざさら舞は、田楽舞としての伝統を持ち、五穀豊穣や悪霊退散を祈願する重要な儀式です。
二日目には、浅草神社で「例大祭式典」が斎行されます。その後、氏子44ヶ町の町内神輿約100基が集まり、
一基ずつお祓いを受けた後、各町会を渡御します。この「町内神輿連合渡御」は、
浅草神社の境内や浅草寺の境内で行われ、多くの観衆が見守る中、威勢の良い担ぎ手たちが神輿を担ぎ上げる姿が
印象的です。町内神輿はその後も夜遅くまで各町内を渡御し、浅草の街は祭り一色に染まります。
三日目には、祭りのハイライトとなる「本社神輿」の渡御が行われます。早朝、浅草神社の境内から
三基の本社神輿「一之宮」「二之宮」「三之宮」が担ぎ出されます。これらの神輿には、
それぞれ土師真中知命、桧前浜成命、桧前武成命の御霊が移され、氏子各町を三方面に分かれて渡御します。
神輿が担ぎ出される「宮出し」や、日没後に神社境内へ戻る「宮入り」の際には、担ぎ手と観衆の熱気が
最高潮に達します。三社祭の神輿は、祭礼の際にご神体や御霊代が乗る輿のことを指します。
浅草神社には一之宮、二之宮、三之宮の三基の神輿があり、それぞれに土師真中知命、
桧前浜成命、桧前武成命の御霊が移されます。祭りの期間中、神輿は氏子達によって各地区を練り歩き、
神様に地区の様子を見ていただくという役割を果たします。また、神輿を激しく揺さぶることで「魂振り」を行い、
神様の霊威を高めるとされています。
浅草神社の歴史は、推古天皇の時代(628年)に遡ります。漁師の檜前浜成・武成の兄弟が、
浅草浦で漁をしていた際に網にかかったのが観音像であったことから、浅草寺の起源が始まりました。
この観音像を祀った土師真中知が、後に剃髪して僧侶となり、観音像を奉安したことが浅草寺の始まりです。
その後、土師氏の子孫が観音菩薩の夢告を受け、三人を郷土神として祀る三社権現社が創建されました。
戦前には、浅草神社には家光公から寄進された神輿三基を含む七基の神輿がありましたが、
戦争の大空襲で全て焼失しました。現在の神輿は昭和20年代に氏子によって新調されたもので、
一之宮には鳳凰が、二之宮と三之宮には擬宝珠が飾られています。これらの神輿は、伝統的な造りを保ちながらも、
近代的なデザインが取り入れられています。
令和六年の三社祭は、5月17日(金)から19日(日)にかけて行われます。
初日には大行列やびんざさら舞の奉納、二日目には例大祭式典と町内神輿連合渡御、
三日目には本社神輿の渡御が予定されています。浅草神社とその周辺地域が祭り一色に染まり、
担ぎ手と観衆の熱気に包まれた浅草の街は、訪れる人々にとって忘れられない体験を提供します。
2024年5月19日
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