第13代 東京都知事 青島幸男 1998年 (平成10年) 神楽坂



青島幸男(あおしま ゆきお、1932年7月17日 - 2006年12月20日)は、日本の芸能界で非常に多岐にわたる分野で活躍した人物であり、 そのキャリアは多才さと幅広さで知られています。 青島は1932年7月17日に東京で生まれ、東京都日本橋区(現在の中央区)で育ちました。 東京都立第二十一中学校(後の武蔵丘高等学校)に入学し、 早稲田大学高等学院に転校後、早稲田大学第一商学部に進学しました。 学生時代から彼の多才さが発揮され、放送作家としての道を歩むことになります。 大学在学中に結核を患い、療養生活を送ることに。その時の経験が後の芸術的な活動に影響を与えました。 彼は当初、自らの苦悩から生まれた楽曲やエピソードを作り出し、それが後の作詞家としての道へと続きます。 放送作家としてNHKのコンクールで台本が採用され、1956年に大学院を中退して芸能活動を本格化。 その後、渡辺プロダクション制作の番組で活躍し、「青島だァ!」というギャグで知名度を上げました。 この時期から歌手デビューも果たし、自らの作詞による楽曲も発表。 青島は作詞家としても非凡な才能を発揮し、ハナ肇とクレージーキャッツや坂本九など、多くのアーティストの楽曲を手がけました。 特に、作曲家萩原哲晶とのコンビで生み出された楽曲は数多くのヒットを記録し、 その名を広く知られるようになりました。代表曲には「スーダラ節」「だまって俺について来い」「明日があるさ」などがあります。 映画監督としての彼の才能も発揮され、1966年には映画『鐘』で製作・脚本・監督・主演を務め、 同作はカンヌ国際映画祭の国際批評家週間に入選しました。この映画は、彼の幅広い才能と芸術的な視点を示すものとなりました。 俳優としても、テレビドラマ『意地悪ばあさん』で主演し、その主題歌「意地悪ばあさんのうた」も歌唱。 この作品により、彼の個性的で魅力的な演技が視聴者に広く受け入れられました。 さらに、青島は政治家としても活動し、参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、 東京都知事(第13代)などを歴任。特に注目されたのは、参院選2期目以降、選挙期間中に選挙活動を行わずに当選し続けたことであり、 その政治家としての人気は高まりました。 その政治活動の中で、特筆すべきは参議院選挙において、選挙期間中に選挙活動を行わずに当選し続けたことです。 これは非常に異例であり、一般的な政治家の選挙活動とは異なるスタイルで、青島の個性と人気を象徴する出来事でした。 青島はまた、政治家としての活動だけでなく、タレントや作詞家としての一面も持ち合わせており、 これが彼の「超マルチタレント」と呼ばれる由来の一つでした。その個性的なスタイルと多才な才能が、 政治家としてのみならず、幅広い分野での成功に繋がりました。 政治家としての青島幸男は、その異例な選挙スタイルや広範な活動領域によって、 日本の政治界においても一石を投じる存在でした。 彼の生涯は、芸術的な才能と政治家としての成功が融合し、日本の歴史に名を刻んでいます。



動画の再生が始まります。



1998年 (平成10年)



ホームへ

     

7ページへ








写真販売