浅草寺 2023年4月1日 令和5年



浅草寺は、東京都台東区浅草に位置する、日本最古の寺院の一つです。その歴史は深く、毎年多くの観光客や信仰者が訪れます。 境内には様々な銅像や記念碑が点在しており、それぞれが独自の歴史と意味を持っています。 浅草寺の本堂裏広場奥には、大谷米太郎夫妻の像が立っています。 大谷米太郎は、ホテルニューオータニの創業者として知られ、宝蔵門の再建に尽力しました。この夫妻像は1967年に建立されました。また、同じく本堂裏広場には、市川團十郎「暫」の像があります。この像は、元々1919年に彫刻家新海竹太郎の手によって作られましたが、戦時中の金属供出により失われました。その後、1986年に十二世市川團十郎の襲名を機に再建されました。 本堂前には、安政7年(1860年)に建立された迷子知らせ石標があります。これは、江戸時代に迷子の子供を保護するための石標であり、 現在立っているものは1957年に復元されたものです。同じ場所には、「鳩ポッポ」の歌碑もあります。 この碑には、東くめ作詞、瀧廉太郎作曲による童謡「鳩ぽっぽ」の歌詞と楽譜が刻まれており、1962年に建てられました。 この曲は、文部省唱歌の「鳩」とは異なる別の楽曲です。 さらに、弁天山石段の左方には松尾芭蕉の句碑が立っています。これは、1796年に建立されたもので、芭蕉の偉業を讃えています。 また、同じく境内には、宮古路豊後掾の追悼碑があります。宮古路豊後掾は、豊後節の創始者であり、 この碑は1746年に養嗣子である宮古路文字太夫(初代常磐津文字太夫)によって建てられました。 淡島堂南側の「新奥山」には、映画弁士塚があります。これは、無声映画時代に活躍した弁士を称えるために1958年に建てられました。 題字は鳩山一郎の手によるものです。また、「新奥山」には、喜劇人の碑もあり、1982年に建てられました。 ここには、川田晴久をはじめとする日本の喜劇人の名前が刻まれています。 「新奥山」には、瓜生岩子の銅像もあります。瓜生岩子は、1829年に福島県喜多方市で生まれ、弱者や貧困者の救済に生涯を捧げた社会事業家で、 日本のナイチンゲールと称されています。この銅像は1901年に造立されましたが、戦時中の金属供出で失われ、 1955年に再建されました。 さらに、浅草寺境内には、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の記念碑もあります。 この碑は、秋本治の漫画の単行本発行部数が1億3,000万部を突破したことを記念して2005年に建てられました。 主人公である両津勘吉は浅草育ちという設定であり、その縁で浅草神社にこの記念碑が立てられました。 本堂裏広場奥には、消防殉職者表彰碑もあります。これは、大正元年(1912年)に、殉職した火消の慰霊と顕彰のために建立されました。 毎年5月25日には慰霊祭が行われ、本堂裏手広場では梯子乗りや木遣、纒振りの演技が披露されます。 1963年に建立された浅草大平和塔は、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹の碑文が刻まれていることでも知られます。 この塔は2019年に老朽化のため建て替えられました。 浅草神社の境内には、さらに多くの記念碑や句碑があります。例えば、久保田万太郎句碑、川口松太郎句碑、河竹黙阿弥顕彰碑、 市川猿翁(二代目市川猿之助)句碑、初代中村吉右衛門句碑などがあります。これらの碑は、それぞれの人物の業績や功績を讃えるもので、 浅草寺の文化的な深みをさらに増しています。 このように、浅草寺の境内には多くの歴史的な銅像や碑があり、それぞれが独自の背景と意味を持っています。 これらの文化財は、浅草寺を訪れる人々にとって、単なる観光地以上の価値を提供し、深い歴史と文化に触れる機会を与えています。



動画は、浅草寺から再生されます。

2023年4月1日





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